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素晴らしい動画ありがとうございます。私もほぼ同じ位置にいました。長時間待ちましたが、注連縄切りの動画は何度見ても素晴らしいです。お稚児さんが神々しかったですね。あの暑さの中気品高くつとめられました。御池通に移動して太平の舞も拝見できました。
@user-gy2yn5mg7eさん、コメントありがとうございます。 ほお~そうだったんですか。朝早くからお互い歩道で待つのはたいへんでしたね。自分はリュックを下に置いて座って待っていました笑。敷布を持ってくればよかったです。立って待つ方はたいへんだったと思います。注連縄切は多くの映像で見たことがあったのですが、どうやって注連縄を張るのかとても気になったので、今回はじめて現地に乗り込んで撮影し、ようやくわかりました。何度も見ていただいてたいへん恐縮しております。うれしいです。うまく撮れたのかよくわかりませんが、こんな感じでまとめてみました。真夏まっさかりの蝉のうるさい時期で、朝から数万人を超す人出でした。当日は本当にたいへんでしたね。お稚児さんの神々しい姿はとても素晴らしかったと思います。太平の舞は見ていないので、来年はそれを見たいですね。
日本大好きアニメ大好きな人間が見ても、この流れ脚本、振り付け、キャラ立ち、配色など非常に興味があります。グローバルに成って世界の文化が平均化しました。その中で日本文化の独自性は、祇園祭等々全国の神社仏閣で行われる巫女舞神事などは、日本人が誇るべき世界唯一無二な世界ですね。
@user-dh2kb2yv7rさん、コメントありがとうございます。祇園祭の山鉾巡行はここから始まりますが、一番の見どころだと自分は思っています。初めて実際にみることができたので感激いたしました。平均化されたグローバリズムの世界では、1000年の歴史を持つ祇園祭は際立つ独特な文化ですね。午前9時から始まる先祭の山鉾巡行とは同日午後6時に始まる八坂神社の神輿渡御のお清めの役割しかないことに驚きます。祇園祭の主役は3基の神輿ですが、多くの人は山鉾巡行が主役だと思っているかと思われます。ということは、祇園祭の壮大なプログラムは日本三大祭の一角をなすものとして、堂々たる内容を持っていますね。 ともかく地元の運営者はたいへんでしょうけど。毎年。。
@@novel1day2は
撮影位置ベスト😊
@user-nk2xo2pj1zさん、コメントありがとうございます! 四条通をはさんで向こうにしようかこっちにしようか、当日考えましたが、結果的にここの場所がベストでしたね。この場所は朝6時すぎに到着して確保したところです。
準備風景は貴重ですね
@dobashiyoshihiro1269さん、コメントありがとうございます! 当日、こちらに行く前にいくつかの映像で事前学習をしてから来ました。が、準備風景がなかったので今回撮影しました。撮影した映像の通り、実際に行ってみてそれが衝撃でもあります。いろいろ学習させてもらいました。
やっぱり、生稚児さん、そして、これはみたいですね~。一番のメインですもんね。ただ、たとえば大阪からだと、京阪の始発のっても、2列目、3列目ぐらいにしか並べないので、こんな感じでとるんだったら、前の日からいったほうがいいですかね。
京へさん、これは必見です笑。ただ、朝早いからそれだけがネックですね。しかも実質30分ほどで終了します。9時30分以降になると四条通の歩道は歩くだけでたいへんです。そこから午後2時すぎまで、大通りの歩道は観客でひしめきあいます。だから裏道を通ることをおすすめします。ただ、山鉾は大通り沿いなので、裏道抜けても、どこも一杯です。京都市役所から御池通を西に進むと人垣は少なくなりますが、四条河原町や京都市役所前の歩道はぎっしりと人垣が連なるので、撮影自体が困難になります。なので、今年は注連縄切だけを見る。来年は四条河原町の辻回しを見る。再来年は京都市役所前の辻回しを見る。という具合に分けないと一度に全部を見ることは不可能ですね。当日、新聞報道では82万人の観客がいたそうです。自分が京阪電鉄祇園四条駅を降りて、徒歩で約10分ほどのところで待ちました。現場到着時が6時20分ぐらいだったと思います。それで3列目でした。6時前から座って待っている人が数十人いたと思います。前日に四条付近で泊まってからだと朝5時すぎぐらいだったら、おそらく一番前だと思われます笑。
前日から泊まらないと無理でしょうね
@@mten8950 さん、前日から泊まることをお勧めします。自分は早朝の電車で向かいましたが、朝6時には撮影場所に多くの人がいたので、6時前に現場に行くといい場所がとれると思います。だから最寄りのホテルや旅館で朝食抜きで速攻チェックアウトするのがいいでしょう笑。
海外の友人に見せたいと思い連れて行ったが、人が多すぎて近くでは見れないし、ながめるだけでは楽しめず疲れて帰っただけだった。外国人に紹介するのはやめたほうがいいその後に地元の盆踊りに行ったのが最高に楽しかったと。とにかく人が多すぎるんよ
@japin6563さんコメントありがとうございます。なるほど、海外の方も数多く見物に来られていましたが、早朝に出待ちをしている人は全員日本人だけです笑。確かに海外の方にお見せしたいという気持はとてもよくわかります。とにかく本当に人が多いですね。インバウンド政策が功を奏したとニュース報道では言っていましたが、せっかく遠い国からきてくれたのに、満足できずに疲れただけの結果はとても残念に思います。こんな大きな祭だから海外の方も数多く見に来てくれます。ですが、あまりに人が多すぎます。意外に小さな盆踊りを見るほうが、ゆっくりと楽しむことができると思いますね。外国の方は、日本の祭自体が好きだと思います。祭の形態が巨大化すればするほど、戸惑うところもたくさん出てくる。祭は人と人とのつながりが一番大事なので規模の大きさで測れるものではないですね。
私が子供の頃、このお稚児さんが落ちて亡くなるという事故がありしばらくお稚児さんの代わりに人形を乗せていた時期がありました後ろから人が手を伸ばして結界のしめ縄を切られても何か味気なく😅お稚児さんが復活した時は皆さん大喜びでしたね‼️
コメントありがとうございます!その話は初めて聞き驚いています。調べると1965年に起きたそうです。他にも過去に落下事故があったり、車を引っ張る子どもが鉾や山に轢かれてなくなる事件も江戸時代にあったそうです。昔は子どもを載せていたそうですが事故が多いため人形に変えたところがほとんどであります。現在注連縄切に必要な生き稚児を使う長刀鉾以外はすべて人形ですね。2023年の注連縄切は実際に稚児を経験された方が大人になりお手伝いをしているようです。彼がメガネをかけた新人の稚児係を指導したりもしています。作法を詳しく伝える人が少なくなっている現代では伝統の維持がますます難しくなってきていますね。
凛々しい御稚児さんと脇を固める禿の一連の所作がとても美しいですね。祇園囃子の独特の音色と相まって荘厳な世界に引き込まれました。
コメントありがとうございます! 祇園囃子の音色は本当に独特でして、これで疫病を寄せ集めて鉾とともに山鉾町に持ち帰るという流れになっているそうです。禿の所作もお稚児さんを支える存在として愛らしく立派ですね。
真剣で切るんだね、凄いなあ。安全管理、大変だろね。あと、折角なんだから英語版も作るべきかな。見に来ても人が多すぎて見れない人も多いでしょう。
@MrYoshichanさん、コメントありがとうございます。生き稚児さんが振り下ろす刀は真剣ですね。日本刀の保管場所はちまき販売とかしている会所かな?と思っているのですが、関係者に訊いてみないとわかりません。そもそも祇園祭の長刀鉾の歴史を紐解きますと、鉾の先端についている長刀は、昔は本物の日本刀を装着していたそうです笑。現代では落下の危険性のため、漆とプラチナ箔を施した竹製となっております。長刀の歴史を調べると、平安時代の刀工三条宗近が娘の疫病治癒を感謝して鍛造し八坂神社に奉納したところから始まります。なるほど、英語版ですか。考えていませんでした。タイトルだけではわからないので、内容も英語表記にしたものがあったほうがいいかもですね。多くの方が見て頂けているので、英語版を作ってみますが、ちょっと時間かかるかも笑。
現人神が載る長刀鉾は神聖にて侵すべからず🎌
@user-jl6ys7nk4yさん、コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、稚児は神の使いになるため、男性の肩に担がれて移動されますね。巡行終了までは地に足をつけないそうです。
@@novel1day2正一位の位を貰ってからは料理も女の人が作った料理は食べられず男の人が作った料理さしか食べられません‼️
コメントありがとうございます。おっしゃるとおり。13日の社参の儀からそうなりますね。17日まで。5日間のあいだお稚児さんの身の回りの世話は男性のみとなり、女人の出入りは禁止されるそうです。それからこの5日間は地面も歩くことが許されず、男性の肩に担がれて移動します笑。
本当に初めて見た、長刀鉾稚児の注連縄切は生身の人間と云うが、まるで操り人形の様です
コメントありがとうございます。これだけアップして撮影すると背後の男性の手の動きが余計に目立ちますね笑。この方は昔稚児を経験されたので、作法をよく心得ているそうです。高い場所から数万人に見つめられるのでお稚児さんはたいへん緊張すると思います。作法を間違えることは許されないので、安全確実に注連縄切を遂行するために止むえない方法だと思います。お稚児さんは日本刀に慣れておりません。注連縄切の練習は会所の2階で実施するそうですが、本番で間違う恐れを極力なくすためかような方法をとっているのでしょう。
何百年前もから、前の方に続いて進んでくださいって煩悩の数だけ言うてたんかな なるほど煩悩は醜いと言うか聞き苦しい
@user-ch1sl1zo8jさん、コメントありがとうございます。ははは!そうかもしれません笑。 山鉾巡行は、平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区)に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、八坂神社の神輿を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりだそうです。その頃から多くの人が見に来たのでしょう。DJポリスのようにユニークな雑踏警備をしてくれるとおもしろかったのですが、まじめに普通な警備なので聞き苦しいところが多々ありますね。警備の音声が入ってしまうのはベストポジションだからという理由もあるかと。とにかくものすごい数の見物人が狭い歩道にひしめいあうので。
お囃子の音が、笛が基本のお能のように聞こえます(ちょっとおどろしい)。鎮魂と言う意味では同類なのでしょうか。時代は能より祇園祭が古いと思いますので、もし能のほうが参考にしているとすれば自分とすれば発見かもしれません。
コメントありがとうございます! 調べますと、祇園祭の鉾や山の意匠やお囃子のほうが能舞台に影響を受けているそうです。能は奈良時代に中国から日本に渡りました。祇園祭は平安時代の貞観869年に起きた疫病流行を退散させるために始まりました。むしろ祇園祭の山や鉾には能から取材されたものがたくさんあるそうです。能の演目名が付いた山や鉾など、現在巡行している32機のうち約半数が関連を持ち、 豪奢な織物の装飾に覆われた山鉾や、独特な音の風景を醸すお囃子に代表される現在の姿を確立したのは室町時代です。「能」は京都で公家から町衆まで広く人気を誇っていたことに由来すると言われています。
@@novel1day2 こちらこそ返信ありがとうございます。能楽協会の「能の歴史」は目を通しておりましたが、奈良時代に中国から伝わった能の体がとのようなものであったか、かつその際の音曲がいかなものであったかが良く分かりませんでしたので初めの感想コメになっています。私の解釈としては、祇園祭が疫病等で亡くなった人々の鎮魂、室町時代以降スタンダードになった観阿弥、世阿弥のお能も怨霊を登場させて弔う演劇(共通のテーマ)と考えていましたので、お囃子に関しては祇園祭が先かと考察しました。確かに、おっしゃるように祇園祭の音曲も何時から今のスタイルになったかがポイントなんですかね。
コメントありがとうございます!調べますと、祇園祭は平安時代の疫病退散を祈る祭礼を起源としています。疫病の元とされる疫病神をおびき寄せるため、巡行でお囃子を奏でて誘い出し、山鉾町に持ち帰ります。お囃子は、かつて鉾の上で能や狂言を演じた名残という説もあるそうです。そもそも祇園囃子は日本音楽の草分け、神楽にはじまり、念仏音楽、風流囃子を取り入れ、後に能楽の影響を受け、今日のような優雅な囃子になったといわれているそうなので、いつから今のスタイルになったのかは特定しずらいと思います。
素晴らしい動画ありがとうございます。私もほぼ同じ位置にいました。長時間待ちましたが、注連縄切りの動画は何度見ても素晴らしいです。お稚児さんが神々しかったですね。あの暑さの中気品高くつとめられました。
御池通に移動して太平の舞も拝見できました。
@user-gy2yn5mg7eさん、コメントありがとうございます。 ほお~そうだったんですか。朝早くからお互い歩道で待つのはたいへんでしたね。自分はリュックを下に置いて座って待っていました笑。
敷布を持ってくればよかったです。立って待つ方はたいへんだったと思います。
注連縄切は多くの映像で見たことがあったのですが、どうやって注連縄を張るのかとても気になったので、今回はじめて現地に乗り込んで撮影し、ようやくわかりました。
何度も見ていただいてたいへん恐縮しております。うれしいです。うまく撮れたのかよくわかりませんが、こんな感じでまとめてみました。真夏まっさかりの蝉のうるさい時期で、朝から数万人を超す人出でした。当日は本当にたいへんでしたね。お稚児さんの神々しい姿はとても素晴らしかったと思います。太平の舞は見ていないので、来年はそれを見たいですね。
日本大好きアニメ大好きな人間が見ても、この流れ脚本、振り付け、キャラ立ち、配色など非常に興味があります。グローバルに成って世界の文化が平均化しました。その中で日本文化の独自性は、祇園祭等々全国の神社仏閣で行われる巫女舞神事などは、日本人が誇るべき世界唯一無二な世界ですね。
@user-dh2kb2yv7rさん、コメントありがとうございます。祇園祭の山鉾巡行はここから始まりますが、一番の見どころだと自分は思っています。初めて実際にみることができたので感激いたしました。
平均化されたグローバリズムの世界では、1000年の歴史を持つ祇園祭は際立つ独特な文化ですね。
午前9時から始まる先祭の山鉾巡行とは同日午後6時に始まる八坂神社の神輿渡御のお清めの役割しかないことに驚きます。祇園祭の主役は3基の神輿ですが、多くの人は山鉾巡行が主役だと思っているかと思われます。ということは、祇園祭の壮大なプログラムは日本三大祭の一角をなすものとして、堂々たる内容を持っていますね。 ともかく地元の運営者はたいへんでしょうけど。毎年。。
@@novel1day2は
撮影位置ベスト😊
@user-nk2xo2pj1zさん、コメントありがとうございます! 四条通をはさんで向こうにしようかこっちにしようか、当日考えましたが、結果的にここの場所がベストでしたね。この場所は朝6時すぎに到着して確保したところです。
準備風景は貴重ですね
@dobashiyoshihiro1269さん、コメントありがとうございます! 当日、こちらに行く前にいくつかの映像で事前学習をしてから来ました。が、準備風景がなかったので今回撮影しました。撮影した映像の通り、実際に行ってみてそれが衝撃でもあります。いろいろ学習させてもらいました。
やっぱり、生稚児さん、そして、これはみたいですね~。
一番のメインですもんね。
ただ、たとえば大阪からだと、京阪の始発のっても、2列目、3列目ぐらいにしか並べないので、
こんな感じでとるんだったら、前の日からいったほうがいいですかね。
京へさん、これは必見です笑。ただ、朝早いからそれだけがネックですね。しかも実質30分ほどで終了します。9時30分以降になると四条通の歩道は歩くだけでたいへんです。そこから午後2時すぎまで、大通りの歩道は観客でひしめきあいます。だから裏道を通ることをおすすめします。ただ、
山鉾は大通り沿いなので、裏道抜けても、どこも一杯です。京都市役所から御池通を西に進むと人垣は少なくなりますが、四条河原町や京都市役所前の歩道はぎっしりと人垣が連なるので、撮影自体が困難になります。
なので、今年は注連縄切だけを見る。来年は四条河原町の辻回しを見る。再来年は京都市役所前の辻回しを見る。という具合に分けないと一度に全部を見ることは不可能ですね。
当日、新聞報道では82万人の観客がいたそうです。
自分が京阪電鉄祇園四条駅を降りて、徒歩で約10分ほどのところで待ちました。
現場到着時が6時20分ぐらいだったと思います。それで3列目でした。6時前から座って待っている人が数十人いたと思います。前日に四条付近で泊まってからだと朝5時すぎぐらいだったら、おそらく一番前だと思われます笑。
前日から泊まらないと無理でしょうね
@@mten8950 さん、前日から泊まることをお勧めします。自分は早朝の電車で向かいましたが、朝6時には撮影場所に多くの人がいたので、6時前に現場に行くといい場所がとれると思います。だから最寄りのホテルや旅館で朝食抜きで速攻チェックアウトするのがいいでしょう笑。
海外の友人に見せたいと思い連れて行ったが、人が多すぎて近くでは見れないし、ながめるだけでは楽しめず疲れて帰っただけだった。外国人に紹介するのはやめたほうがいい
その後に地元の盆踊りに行ったのが最高に楽しかったと。
とにかく人が多すぎるんよ
@japin6563さんコメントありがとうございます。なるほど、海外の方も数多く見物に来られていましたが、早朝に出待ちをしている人は全員日本人だけです笑。
確かに海外の方にお見せしたいという気持はとてもよくわかります。とにかく本当に人が多いですね。
インバウンド政策が功を奏したとニュース報道では言っていましたが、せっかく遠い国からきてくれたのに、満足できずに疲れただけの結果はとても残念に思います。
こんな大きな祭だから海外の方も数多く見に来てくれます。ですが、あまりに人が多すぎます。
意外に小さな盆踊りを見るほうが、ゆっくりと楽しむことができると思いますね。
外国の方は、日本の祭自体が好きだと思います。祭の形態が巨大化すればするほど、戸惑うところもたくさん出てくる。祭は人と人とのつながりが一番大事なので規模の大きさで測れるものではないですね。
私が子供の頃、このお稚児さんが落ちて亡くなるという事故がありしばらくお稚児さんの代わりに人形を乗せていた時期がありました
後ろから人が手を伸ばして結界のしめ縄を切られても何か味気なく😅お稚児さんが復活した時は皆さん大喜びでしたね‼️
コメントありがとうございます!
その話は初めて聞き驚いています。調べると1965年に起きたそうです。他にも過去に落下事故があったり、車を引っ張る子どもが鉾や山に轢かれてなくなる事件も江戸時代にあったそうです。昔は子どもを載せていたそうですが事故が多いため人形に変えたところがほとんどであります。現在注連縄切に必要
な生き稚児を使う長刀鉾以外はすべて人形ですね。
2023年の注連縄切は実際に稚児を経験された方が大人になりお手伝いをしているようです。彼がメガネをかけた新人の稚児係を指導したりもしています。作法を詳しく伝える人が少なくなっている現代では伝統の維持がますます難しくなってきていますね。
凛々しい御稚児さんと脇を固める禿の一連の所作がとても美しいですね。祇園囃子の独特の音色と相まって荘厳な世界に引き込まれました。
コメントありがとうございます! 祇園囃子の音色は本当に独特でして、これで疫病を寄せ集めて鉾とともに山鉾町に持ち帰るという流れになっているそうです。禿の所作もお稚児さんを支える存在として愛らしく立派ですね。
真剣で切るんだね、凄いなあ。安全管理、大変だろね。あと、折角なんだから英語版も作るべきかな。見に来ても人が多すぎて見れない人も多いでしょう。
@MrYoshichanさん、コメントありがとうございます。生き稚児さんが振り下ろす刀は真剣ですね。日本刀の保管場所はちまき販売とかしている会所かな?と思っているのですが、関係者に訊いてみないとわかりません。そもそも祇園祭の長刀鉾の歴史を紐解きますと、鉾の先端についている長刀は、昔は本物の日本刀を装着していたそうです笑。現代では落下の危険性のため、漆とプラチナ箔を施した竹製となっております。長刀の歴史を調べると、平安時代の刀工三条宗近が娘の疫病治癒を感謝して鍛造し八坂神社に奉納したところから始まります。
なるほど、英語版ですか。考えていませんでした。タイトルだけではわからないので、内容も英語表記にしたものがあったほうがいいかもですね。
多くの方が見て頂けているので、英語版を作ってみますが、ちょっと時間かかるかも笑。
現人神が載る長刀鉾は神聖にて侵すべからず🎌
@user-jl6ys7nk4yさん、コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、稚児は神の使いになるため、男性の肩に担がれて移動されますね。巡行終了までは地に足をつけないそうです。
@@novel1day2正一位の位を貰ってからは料理も女の人が作った料理は食べられず男の人が作った料理さしか食べられません‼️
コメントありがとうございます。おっしゃるとおり。13日の社参の儀からそうなりますね。17日まで。5日間のあいだお稚児さんの身の回りの世話は男性のみとなり、女人の出入りは禁止されるそうです。それからこの5日間は地面も歩くことが許されず、男性の肩に担がれて移動します笑。
本当に初めて見た、長刀鉾稚児の注連縄切は生身の人間と云うが、まるで操り人形の様です
コメントありがとうございます。これだけアップして撮影すると背後の男性の手の動きが余計に目立ちますね笑。この方は昔稚児を経験されたので、作法をよく心得ているそうです。高い場所から数万人に見つめられるのでお稚児さんはたいへん緊張すると思います。作法を間違えることは許されないので、安全確実に注連縄切を遂行するために止むえない方法だと思います。お稚児さんは日本刀に慣れておりません。注連縄切の練習は会所の2階で実施するそうですが、本番で間違う恐れを極力なくすためかような方法をとっているのでしょう。
何百年前もから、前の方に続いて進んでくださいって煩悩の数だけ言うてたんかな なるほど煩悩は醜いと言うか聞き苦しい
@user-ch1sl1zo8jさん、コメントありがとうございます。ははは!そうかもしれません笑。 山鉾巡行は、平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区)に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、八坂神社の神輿を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりだそうです。その頃から多くの人が見に来たのでしょう。DJポリスのようにユニークな雑踏警備をしてくれるとおもしろかったのですが、まじめに普通な警備なので聞き苦しいところが多々ありますね。警備の音声が入ってしまうのはベストポジションだからという理由もあるかと。とにかくものすごい数の見物人が狭い歩道にひしめいあうので。
お囃子の音が、笛が基本のお能のように聞こえます(ちょっとおどろしい)。鎮魂と言う意味では同類なのでしょうか。時代は能より祇園祭が古いと思いますので、もし能のほうが参考にしているとすれば自分とすれば発見かもしれません。
コメントありがとうございます! 調べますと、祇園祭の鉾や山の意匠やお囃子のほうが能舞台に影響を受けているそうです。能は奈良時代に中国から日本に渡りました。祇園祭は平安時代の貞観869年に起きた疫病流行を退散させるために始まりました。
むしろ祇園祭の山や鉾には能から取材されたものがたくさんあるそうです。
能の演目名が付いた山や鉾など、現在巡行している32機のうち約半数が関連を持ち、 豪奢な織物の装飾に覆われた山鉾や、独特な音の風景を醸すお囃子に代表される現在の姿を確立したのは室町時代です。「能」は京都で公家から町衆まで広く人気を誇っていたことに由来すると言われています。
@@novel1day2 こちらこそ返信ありがとうございます。能楽協会の「能の歴史」は目を通しておりましたが、奈良時代に中国から伝わった能の体がとのようなものであったか、かつその際の音曲がいかなものであったかが良く分かりませんでしたので初めの感想コメになっています。私の解釈としては、祇園祭が疫病等で亡くなった人々の鎮魂、室町時代以降スタンダードになった観阿弥、世阿弥のお能も怨霊を登場させて弔う演劇(共通のテーマ)と考えていましたので、お囃子に関しては祇園祭が先かと考察しました。確かに、おっしゃるように祇園祭の音曲も何時から今のスタイルになったかがポイントなんですかね。
コメントありがとうございます!調べますと、祇園祭は平安時代の疫病退散を祈る祭礼を起源としています。疫病の元とされる疫病神をおびき寄せるため、巡行でお囃子を奏でて誘い出し、山鉾町に持ち帰ります。お囃子は、かつて鉾の上で能や狂言を演じた名残という説もあるそうです。そもそも祇園囃子は日本音楽の草分け、神楽にはじまり、念仏音楽、風流囃子を取り入れ、後に能楽の影響を受け、今日のような優雅な囃子になったといわれているそうなので、いつから今のスタイルになったのかは特定しずらいと思います。